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亀山社中と海援隊とは

幕末の亀山社中は、土佐藩の坂本龍馬によって長崎に設立されました。その後、龍馬は亀山社中で海上輸送などをしていたことから、海援隊を結成。航海術などを訓練し、私設海軍のような組織です。解散後、メンバーたちが日本の経済の発展に尽力しました。

海援隊は海上から土佐藩を援護する由来で命名された?

坂本龍馬が設立した海援隊は、今でいう海軍のような役割を担っていました。ただ、幕府の組織ではなかったので、あくまで私設部隊です。海援隊という名称の由来は、諸説あります。その中で有力なのは、土佐藩だった坂本龍馬が海から土佐藩を援護する意味合いを込めて命名したとされるのが、最も有力とされています。いずれにせよ、航海術に長けていたのですから、ピッタリくる名前ですね。

当時の海援隊の基本理念は、「海援隊約規」を参照すると、崇高な精神を持った志士の集団であることが分かります。海軍のような活動をする一方で、船会社のような仕事をしていました。海援隊は1867年(慶応3)に設立されました。その後、わずか1年後の1868年に藩命によって解散しています。海援隊の入隊資格や目的は以下の通りです。

「およそかって本藩を脱する者、および他藩を脱する者、海外の志ある者、この隊に入る」「運輸、射利、開拓、投機、本藩の応援をなすを主とす」

引用:長崎市亀山社中記念館http://www.city.nagasaki.lg.jp/kameyama/outline/kaientai.html

海援隊といえば、俳優・武田鉄也のボーカルで知られる3人組のフォークグループもあります。こちらの「海援隊」は、武田が坂本龍馬に心酔するほど大ファンだったことから、グループに名づけました。坂本龍馬の没後、長い時間が過ぎましたが、その影響力の大きさを示しています。

海援隊の関係者らが三菱商事や日本郵船の原点になった

海援隊の解散のきっかけは、海援隊のいろは丸と紀州藩の軍艦・明光丸との衝突事件です。龍馬は紀州藩に過失を認めさせ賠償金を支払わせたが、その後、暗殺されました。求心力を失った海援隊が解散するきっかけになりました。しかし、解散によって当時の関係者らが、今の日本の巨大企業の礎になったのです。今の日本の経済を支えるような偉人を輩出しました。

・後藤象二郎(土佐藩士)=土佐商会を設立

・岩崎弥太郎=後藤象二郎から長崎商会の主任を命じられる。その後、三菱財閥や郵便汽船三菱会社(現日本郵船)に発展させる

坂本龍馬が薩摩藩と長州藩を仲介し、薩長同盟が成立しなければ、のちの日本の大企業は、違った形になっていたのかもしれません。

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